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有元利夫の言葉
(『有元利夫 女神たち』 1981よりの抜粋)
 

様式について
様式はなつかしい―それは、現代が失ってしまったもののひとつだからです。「現代」に入る前は、洋の東西を問わず人間は常に常に様式を持っていた。その時代その時代のものを作る人々を、まるごと支えていたような大きな様式です。

絵の描きはじめと描きおわり
…さて、そこで描きおわり。これでよしと一応思っても、額に入れて壁にかけて二ヶ月間はほおっておきます。それ以前に人目にさらすことはまずない。理由は至って単純。自信がないからです。というのは、完成したかしないかを決めるのも理論的な帰着があるわけではなくて、要するにそんな気がしたというだけだから、二ヶ月ぐらいはそのままにして確かめてみた方がいいと思うわけです。事実、気のせいがかなり多い。保留期間をとりあえずふた月としているのも、過去の経験によるもので、額におさまった絵から一ヵ月後に「呼ばれ」て描き変えたこともありました。

風化―時間との共同作業
風化というのはとりもなおさずものが時間に覆われることだと思う。時間に覆われることによって、そのものの在り方は余計強くなる。時間に耐えて、風化して、それでも「そこに在る」というものは、ピカピカの出来たてとは比べものにならないくらいの存在感というか、リアリティーを持っているように思えるのです。

浮遊すること
嬉しい時、幸福感でいぱいな時、それを表して「天にも昇る気持ち」と言う。実は僕はこの言い回しが大好きなのです。いわゆる知的エリート風の人たちは、とかくこういう表現を通俗だ陳腐だとバカにしがちですが、こういうのは意外にバカにしてはいけないと思う。大げさな言い方をすれば、開闢以来、人間嬉しい時はフワーと浮き上がるような「足が地につかない」気持になってきたのだから、そういう表現が生れた。それを、もう少し難しく言わないと格好がつかないとか、となりのあいつと同じ言い方をするのはしゃくだとかいうふうになってくると、使い古された言い方は、「手垢にまみれた」とかなんとか因縁をつけられて、だんだん敬遠されてしまう。考えてみれば、通俗な表現というのは、人間のどこかにそれだけ深く根差しているものだからこそ、広く行きわたって「通俗」になったのだと思うのです。
 
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