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有元利夫 (1946−1985)
 

1946年9月23日、家族の疎開先であった岡山県津山市に生まれるが、生後まもなく東京の谷中に戻り、生涯その地を愛す。1969年東京藝術大学美術学部デザイン科に入学。浪人生活の間にすでに有元は「いいデッサンとは何か」という疑問、古典美術への興味、演技と様式による表現の力、風化の魅力などを強く意識し始める。古典のデッサンを意識的に見るようになり、演技は事実の描写と再現よりも真実に近づきうるという考えに達する。在学中に渡欧した際、イタリアのフレスコ画に強く感銘を受け、その質感や、リアリズムよりも象徴性を重視した発想と描き方などに日本の仏画との共通点を見出し、帰国後に岩絵の具を用いることを決心する。また、有元は音楽をこよなく愛し、「音楽が漂っているような」画面をつくることをめざし、音楽そのものを主題にした作品も数多く制作した。

1972年の卒業制作《私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ》10点連作は大学買い上げとなり、卒業後はデザイナーとして電通に入社。そのかたわら自分の好きな絵を描いて展覧会出品を重ね、1975年に初個展を開催する。デザインの仕事も絵を描くことも「物つくり」として自分が納得いくまで没頭することに次第に限界を感じ、1976年より画業に専念。1978年《花降る日》で安井賞特別賞を受賞。1981年には《室内楽》にて第24回安井賞を受賞し、同作品は東京国立近代美術館に収蔵される。同年3月には美術出版社より『有元利夫 女神たち』と『有元利夫作品集』を発行。絵画をはじめとして版画・素描・立体にも精力的に取り組み、日本の現代美術の第一人者として期待される。

「つくるということ」に対して真摯で貪欲であり続け、作品だけでなくその人柄も多くの人々を魅了した有元利夫は、1985年2月24日38歳という若さで急逝。風化の美しさと独特の世界観を有した有元の作品はその魅力が衰えることなく今日まで愛され続けている。1986年には毎日新聞主催による回顧展が開催され、1987年全国美術館会議主催、1991年、1995年には毎日新聞主催の全国巡回展、近年では2001年から2003年にかけて産経新聞社主催による全国巡回展が開催される。また、有元が生前に新作発表をしていた彌生画廊では1980年以来毎年「有元利夫展」を開催。1989年以後会場を三番町・小川美術館に移し、彌生画廊の協力のもと毎年2月に作家を偲び「有元利夫展」を開催している。

 
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